戦前の東京では一人前の畳職人に為るには、ツケ仕事と手縫床製作の両方が出来て一人前でした。両方出来て、畳大工と呼ばれたので、業界に入れば、一人前になれる目標に為ったようです。 実務経験15年くらいで畳大工と呼ばれたそうです。昭和13年の競技会でも掛け縫い手縫い床製作の部門があり、我が家の二代目が2位に為って東京府知事賞を頂きましたが、二代目は28才で、1位の方は40才で仕事が上手で、縫った針足の間隔が広く見えて、二代目は自分の仕事のレベルを思い知ったそうです。(狭く見えるのは針足が揃っていないから)

戦前の東京では、ツケ仕事しか出来ないと片配?と呼ばれ安く見られたようです。 畳大工は江戸時代の名残であって、東京以外では聞いた事がありません。